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米原万里さんの旅立ち 

元ロシア語会議通訳者で作家・エッセイストの米原万里さんが永眠されたとの由。(参考

同時通訳の舞台裏を描いたエッセー「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」は、とくに面白く読んだ。ちょうど、私自身が通訳・翻訳のフリーランスになることを考え始めた時期でもあったので、読んで大いに励まされるところがあり、そして米原さんにあこがれた。最近の著作は拝見していないが、英語以外の言語の通訳者出身であり、専攻は違うが大学の先輩にも当たる方ということで、勝手に親近感を抱いていた。

このごろは、週刊文春に不定期に掲載される書評のコーナーで、ご自身がさまざまなガンの代替治療を試している旨を書かれていた。だが、劇的に症状が改善する方法に出会う前に、彼岸に渡ってしまわれたようだ。ご冥福をお祈りする。
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「生きざま」への違和感 

「私は『生きざま』という言い方が嫌いです。『ざま』というのはよくない響きの言葉です。『死にざま』という言葉はありますが、『生きる』に『ざま』をつけるのはおかしい」。

学生のころ、ある先生がそういう話をされたのを耳にしてから、確かにそうだな、と私も思うようになり、それ以来自分でも「生きざま」という言葉はつかわないようにしている。だから、今日のニュースのこんな見出しには激しく違和感を覚える。

被爆者の「生きざま」調査=設立50年で広島被団協
広島県原爆被害者団体協議会は、27日の設立50年を前に26日、広島市で定期総会を開き、県被団協設立までの戦後10年間に受けた就職・結婚差別など、苦境の中で生き続けた被爆者の「生きざまの実態調査」を進める方針を明らかにした。(時事通信) - 5月26日17時1分更新


時事通信ではなく被団協自身が「生きざま」という言葉をつかっているのだから、私なんぞが異議を唱える筋合いはないわけだが、生理的にはなんとなく釈然としない感じは残る。

ちなみに、新明解国語辞典の解説はこうなっている。

ざま
〔口頭〕〔「様サマ」の変化〕(ぶかっこうな)様子。〔接尾語的にも使われる〕「なんて―だ/―見ろ/―見やがれ〔=憎い相手が へまをやったりしたのを見て痛快がる言葉〕/後ろ―〔=後ろ向き〕に倒れる/書き―・立ち上がり―〔=立ち上がるや いなや〕」〔「ざま△見ろ(見やがれ)」では「ざまあ」と長呼されることもある〕


「書きざま」、「立ち上がりざま」の「ざま」には、「みっともない、格好悪い」のニュアンスはないわけだから、「生きざま」と言ってもおかしくない、というロジックは成り立つのだろう。でもやっぱり「ざま」と聞くと、「あのザマは何だ」とか、「ざまあ見ろ」が真っ先に思い浮かんでしまうのだ。

旧時の1両は何gなのか 

「金塊や金の破片を1万7千両拾い集めた」という内容の原文があり、1万7千両をkg換算する必要が生じた。この一文は民国のころの話なので、もちろん、「1両=50g」ではない。

最近、“爱词霸”よりも気に入って頻用しているオンライン辞書サイト“知识词典”でまず“斤"を調べたところ、検索結果の一つにこういう説明があった。

也作“觔”。中国和东南亚各国所用的各种重量单位中,均在600克左右;亦指中国在1929年规定的标准单位,等于1.1023磅或500克 [catty] 十六两为一斤。


つまり、1斤が600gを示す場合と、500gを示す場合があるわけだ。この時代は1斤=16両だから、それぞれを16で割ると、前者の場合は1両=31.25g、後者の場合は同37.5g、となる。

幸い、「1万7千両拾い集めた」のは、1929年よりも早い年だと原文から判明しているので、この場合は1両=37.5gで計算すればよいと分かった。

しかし、たとえばもし1930年代くらいの話だったら両方の可能性が考えられるので、大変紛らわしい。また、上記説明の“catty"を英和辞典などで引くと、1catty=600gだったり670gだったりと、辞書によって説明が違うようなので、ますます混乱する。

言い換えを提唱したい表現 

以前、翻訳を引き受けたある文章で、市場競争に負けて事業から撤退した企業を“陣亡”と表現していたので、そのまま「戦死」と訳したら、クライアントから「表現がきついので別の表現に変更してほしい」という旨の依頼が来た。

「死」という字が入っているので、きつすぎる表現と受け取られたのだろう。なるほど、言われてみればそうかもしれない、と思い、文脈から考えて「廃業」にすべて置き換えた。

その件は、それで事なきを得た。これは直截の度が過ぎた表現をもう少し和らいだ言葉に言い換えたケースだったが、これとは逆に、事の本質を端的に表すためにもっと直截的に言い換えたらどうか、と個人的に常々思っている言葉がある。

それは、「万引き」だ。

「万引き」の語源は、大辞林や語源由来辞典によると、「間引き」だという。「多すぎる物を人為的に適正な数にしてやろう」という意味から生まれた言葉なのだろうか。だとすれば、これはもともと盗む側が隠語として使っていた可能性もあるのではないか。少なくとも、店主の立場に基づいた言葉ではないように思う。そのあたり、詳しいことをご存じの方がいらしたら、ぜひご教示いただければ幸いである。

また、ウィキペディアによると「万引き」の定義は、「開店している時間帯に、客を装って来店し、店員の目を盗んで窃盗する」ことだという。

つまり、「万引き」は数ある窃盗のバリエーションの一つというわけだ。ならば、「万引き」は「営業時間中の窃盗」とでも言えばよいではないか。「万引き」などという、字面ではちっとも盗みを想起させない言葉があるばかりに、「盗みの中では、軽くて比較的大目に見てもらえる行為」、「軽微な盗み」とみなす風潮が生じるように思えてならない。そして、「つい出来心でやったことだから、許してやろう」という心情に社会が傾きがちになる。

だが実際の状況を見ると、そのように「大目に見る」ことはとてもできないきわめて悪質な「万引き」事件は、枚挙にいとまがない。わりと最近では、都内のあるコンビニの特定店舗だけをねらって集団で「万引き」を働き、ついにその店舗を閉店に追いやった少年グループのニュースがあった。また、書店からコミックのセットをボストンバッグがいっぱいになるほどごっそり盗んでは、新古書店で売却して換金するやからも少なからずいるようだ。その中には、小学生だか中学生による犯行もあったと記憶している。

さらに、書店店主に「万引き」を注意されて店から逃げ出した学生(こっちは高校生くらいだったか)が、途中で電車にはねられて死亡し、逆にその書店店主が「人殺し」などといわれない非難を浴びて、結局店をたたんだ、というニュースもあった。そうした非難をした者たちの頭には、「子どもの『万引き』なんだから許してやれ」という、「窃盗とはワンクッション置いた行為としての『万引き』」、「厳しくとがめるには及ばない軽微な悪さとしての『万引き』」という意識があったはずである。

そもそも、雑誌1冊だろうが、ボールペン1本だろうが、「万引き」すればれっきとした犯罪(窃盗罪)なのだから(上記のウィキペディアの解説参照)、「万引き」はもっと端的に「窃盗」を含む表現に言い換えるべきだと思う。言い換えは、行為の本質を社会が正しく理解し、「『万引き』=プレ犯罪行為」というイメージを払拭することの一助となるだろう。まずは、マスメディア関係者あたりから、実践してみてはどうか。

不具合のwordtank G90は、2006年5月12日より無償交換を開始 

だそうです。詳細は、ここに出ています。

啓蒙老師 

启蒙老师
qi3meng2 lao3shi1
1. ある研究・専門の分野に進むよう導いてくれた教師。
2. ある学問の初歩・基礎を教える教師。


だいたい、上記のような意味があると思う。単に「啓蒙の師」と訳しても、原語の意味は伝わらない。

1の意味には、「その先生がいらしたおかげで今の自分がある、という意味での『恩師』」というニュアンスがあるように感じられる。また、直接教えを受けたわけではないが、ある人にあこがれや敬意を抱いており、その人のようになりたくて自分もその道を志すようになった、という「心の師」を指す場合もある。例えば、だいぶ前にフェイ・ウォンが「テレサ・テンは私の“启蒙老师”だ」とインタビューで言っていたのを耳にしたことがある。

2の意味については、ググっていたら性教育 别让三级片当了启蒙老师"(アダルトビデオに性教育をやらせてはいけない、というような意味。すいませんが、本文はちゃんと読んでいません)なんていう用例もあった。


追記:簡体字の「啓蒙」の部分が、IEで見るとバケてますね(Firefoxでは問題なし)。他の簡体字は大丈夫なのに。どうしてだろう?

ヘコんだ誤字 

先月下旬に納品した物(映像関連)に、固有名詞の重大な誤字があったことに、GW中にその続きの物の翻訳をしていて気づいた。「暦」とすべきところを、同音の「歴」と入力してしまい、それを見直しの際に発見できずに納品してしまったのだ。

きわめて単純なミスなので、あるいはクライアントが気がついて直してくれた可能性はある。だが、万一見逃したまま完成段階まで行ってしまったら、かなり翻訳者として恥ずかしいし、制作・発売の関係者にも多大な迷惑を掛けることになる。

ああ、そうなったらもう仕事はもらえないなぁ、翻訳者生命も終わりかも、と思いながらGWが明けるのを待って、クライアントに電話をして誤字の報告とお詫びを申し上げた。すると、当該の誤字を含むものは、まだ訳の修正が可能な段階であることがわかった。そして、誤字もクライアントの方で気がついて直して下さっていたようだったので、何とか自分が予想していた最悪の事態は回避できた。

ひとまずはほっとしたが、今回こんなヘマをやらかした自分にはつくづくヘコんだ。見直しをする時は、「他人の目」をもって厳しくやらないといけないのだと、あらためて痛感した。

wordtank G90の無償交換案内ページ 

2006/5/2付でメーカーのページに標題の案内が出ていたことに、先ほど気がついた。

電子辞書「wordtank G90」をご使用のお客さまへ
交換は2006年5月中旬より開始する予定で準備を進めております。スケジュールの詳細につきましては、本ページにて5月11日頃に改めてご案内致します。


上記ページに掲載されているコールセンターの番号は、G90の交換専用のようだ。

不具合のWordtank G90交換に関する連絡(2006/5/1) 

2006/4/29のエントリーの続報です。

今朝、キヤノンのお客様相談センターから電話があり、すでにネットのあちこちで情報が出ている通り、不具合のG90は5月中旬に新品と交換してくれるとのこと。詳細が決まり次第また連絡をくれるとの話だった。

私の場合は、この電話ではフルネーム、新品交換に関する連絡用電話番号、不具合製品の製造番号を聞かれただけだった。だが、お客様相談センターに連絡した同業の知人が確認した情報によると、具体的には「同センターに連絡先・発送先等を知らせておけば、メーカーから発送前に連絡をくれた上で宅配便で新品を届けるので、その配送業者さんに不具合の製品と取説を渡す」という手順になるようだ。
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