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借題発揮 

借題発揮
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5/24に始まった山口県光市母子殺害事件の差し戻し控訴審。死刑廃止論者の弁護士が団長を務め、21人で構成される弁護団が被告人についた。
報道を見る限り、私にはどうしても弁護団がこの裁判を自らの運動(死刑制度止の実現をめざす運動)の場、もしくは死刑廃止の主張がどこまで取り入れられるのか試す実験の場、と位置づけているようにしか思えなかった。

弁護団には当初から「本件の被告人の死刑判決を出させない」という目的がある。その目的を果たすために、法廷を劇場に仕立てて自ら演出家と脚本家を兼任し、シナリオを書く。そしてそれを被告人に演じさせる。

今回の状況からして、死刑判決が出る可能性が高いだろう。そうした中で弁護団は、被告人の弁護を務めて運動の実績を重ねることがまず大事で、もしその結果死刑判決を回避できればなおよろしい、というスタンスのように見える。

原文のしもべたらんとして、原文の意味をいかに訳文で忠実に表現するかに心を砕いている翻訳者として思う。そもそも弁護という仕事の前提は、事実や法律に忠誠を尽くすことではないのだろうか。今までの同事件の裁判ではありえなかった数々の奇想天外な発言が被告側から飛び出すのはなぜか。「死刑にさせない」という弁護団の目的がまずあって、そこへたどりつくために脚色をあれこれ加えたからだろう。

弁護団を構成する弁護士の一人一人の心には、善意とか人権擁護とか社会正義とかがあるのかもしれない。しかし、弁護団という集団のやっていることには、何よりもまず「運動家としてのもくろみ」が感じられて、生理的な嫌悪感すら覚える。ちなみに5/25の「みのもんた朝ズバ」を見ていたら、大澤孝征弁護士が「同じ弁護士として恥ずかしい」という発言を2回もしたのが印象的だった(テレビを見ていなかった方の参考:JCASTニュース)。遺族の本村洋さんも、

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070524-00000190-jij-soci
「被告を救うことは手段で、目的は死刑制度の廃止を訴えること。遺族だけでなく、被告さえ利用している」と厳しい表情で語った。



とのこと。本村さんの弁護団に対する怒りは、筆舌に尽くしがたいものに違いない。

この指摘のように、ある事柄(この場合は被告の弁護)にかこつけたりある事柄に名を借りたりすることで、事柄とは直接関係ない自らの主張を述べたりやりたいことをやったりすることを、中国語では“借題発揮”と呼ぶ。

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